日本産科婦人科学会学術講演会 産科学及び婦人科学の進歩・発展に貢献するために
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連載コラム 仙台に来る前に知っておきたい学会場周辺のトリビア バックナンバーコラム

その11 お城にまつわる歌二つ

 仙台の城と言えば青葉城ですが、その城址から構想したとされる歌が『荒城の月』です。
    春高楼の 花の宴
    巡る盃 影さして
    千代の松が枝 分け出てし
    昔の光 今いずこ
 作詞者の土井晩翠は仙台出身です。学会場となる国際センターから徒歩10分の立町小学校(写真左)を卒業し、仙台の旧制二高を経て帝国大学英文科に進学しました。明治33年から母校旧制二高の教授として仙台に戻り、1934年(昭和9年)定年退職しています。400年前、この辺りは『千代(せんだい)』と書き記されていましたが、伊達政宗が城下町を開いたときに『仙台』と書き改めました。晩翠は、歌詞3行目の『千代』を『仙台』の掛詞として使うことで、場面が仙台城(青葉城)であることを暗に示したとも言われています。晩翠が亡くなるまで過ごした家は晩翠草堂(ばんすいそうどう)(写真右)と呼ばれ、今も青葉通り沿いに残っています。仙台市民から親しまれた土井晩翠は1949年(昭和24年)、赤痢菌の発見者である志賀潔(仙台藩の藩医の家柄)とともに仙台名誉市民第1号に選ばれました。なお、現役教授時代、姓の土井(つちい)を誤って「どい」と読まれることが多かったことから、定年を機に「どい」と改姓し、現在では「どいばんすい」と呼ばれるのが一般的です。

 名曲『荒城の月』から70年後、再び、青葉城の名を全国に知らしめる歌が出ました。
    広瀬川 流れる岸辺・・・
    青葉通り 薫葉(かおるは)緑・・・
    瀬音(せおと)ゆかしき 杜の都・・・
 1978年(昭和53年)にヒットした『青葉城恋唄』(作詞 星間船一)です。この年の春、私は仙台に出てきました。市内のあちこちでこの歌が流れていましたが、まだ仙台でしか流行っていなかった時期でもありました。田舎から出てきて仙台駅に着いたときに初めてこの歌を聴いたのですが、その途端によく知らない仙台の街を瞬時に好きになってしまった、そんな魔法にかけられたような記憶があります。学会期間中は、この歌詞のままの仙台の街自体を味わっていただきたいと思います。
 ところで『青葉城恋唄』の歌詞の中には、一度も『青葉城』が出て来ません。不思議な歌です。 文責 八重樫
写真 みゆき

立町小学校(図1) 晩翠草堂(図2)
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