日本産科婦人科学会学術講演会 産科学及び婦人科学の進歩・発展に貢献するために
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連載コラム  仙台に来る前に知っておきたい学会場周辺のトリビア 

その9 慶長遣欧使節団と国内最初の洋バラ

支倉常長像(図1)  仙台国際センターから坂を少し登ると仙台城大手門脇櫓があり、そこを左に曲がれば青葉城の本丸跡まで徒歩5分程度です。一方、右を向きますとそこは東北大学川内キャンパスで、入り口付近に支倉常長の銅像があります。(写真左上)。
 支倉常長は政宗の重臣の一人ですが、政宗に命じられて慶長遣欧使節団を率いて太平洋を渡りメキシコを横断しさらに大西洋を渡りました。当時の世界最強国であるスペイン皇帝やローマ教皇にも謁見し、日本人として最初のローマ市民権も得ています。この史実は社会科の教科書に載っているほど有名で、一行がスペイン皇帝に謁見した年を日本とスペインの国交樹立の年としているほどです。明治の岩倉使節団がローマを訪問した際、その250年も前にすでに仙台から使節団が派遣されていたという事績を知り大いに賞嘆したとされています。まだ蒸気船も無い時代の偉業が、実は1611年に起こった慶長大地震の後に伊達政宗が考えた復興事業であったことは意外に知られていません。東日本大震災のちょうど400年前に同じ場所で同じ規模の大地震と津波被害があったこと、その業績が最近になって大きく見直され始めていることに多くを考えさせられます。
 さて、支倉常長の一行が帰国したのは1620年ですが、その年、仙台領内でもキリスト教が禁教となってしまい、常長らの業績はすべて闇に葬られてしまいます。さらに1624年にはポルトガル人宣教師と8人の信徒が大橋のたもとに設置された水籠(水牢)と呼ばれる拷問で亡くなっています。国際センター正面から出て大橋を渡り終えた所の左手には、亡くなった神父と2人の信徒の銅像が建てられており(写真下)、例年2月の第4日曜日に銅像の下で殉教祭がおこなわれます。
 仙台を訪れた方の多くは日本三景の一つ、松島にも足を延ばすのではないでしょうか。松島といえば伊達家の菩提寺である瑞巌寺が有名ですが、その隣にある円通院は「バラ寺」と呼ばれています。常長が洋バラを持ち帰って境内に植えたことからその名前が付けられたということですが、おそらくこれが日本では最古の洋バラであろうと言われています。そのバラの子孫は絶えてしまいましたが、境内の厨子には持ち帰った洋バラが描かれているのです。


キリシタン信徒の銅像(図2) 文責 八重樫
カメラマン みゆき

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